tatsuaki

PROFILE

tatsuaki

タツアキ(tatsuaki/斉藤竜明)
1977年11月4日生まれ。神奈川県川崎市出身。幼少期から油絵を学び、大学時代からクラブでVJとしての活動を開始。2005年に瘋癲(FU-TEN)の「M.V.R. feat.(feat.Mr O.K.I.,TYPE Lo)」にてPV監督デビュー。以降、ヒップホップ/レゲエを中心におよそ300本のPVを手がける。2006年のライムスター「HEAT ISLAND(featuring FIRE BALL)」から、ライムスターのすべてのPVを担当。2010年「KING OF STAGE Vol. 8 マニフェスト Release Tour 2010 at ZEPP TOKYO」からはライブDVDの映像も手がけている。他に主な作品は、遊助「イナヅマ侍」(2011)、三浦大知「TwoHearts」(2012)、lecca「キラキラ」(2012)、「SOIL&PIMP SESSIONS feat.RHYMESTER「ジャズィ・カンヴァセイション」(2013)など。2013年7月、スタープレイヤーズ所属。

受賞歴
2006年 エジンバラ国際映画祭 breakthrough「A Song feat.PES & SU from RIP SLYME」MV作品招待
2007年 SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS BEST R&B/HIP HOP VIDEO  RHYMESTER「HEAT ISLAND feat. FIRE BALL」Dir: Tatsuaki&Natori名義
2008年 SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS BEST REGGAE VIDEO PUSHIM 「HEY BOY」Dir: Tatsuaki&Natori名義
2010年 SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS BEST HIP HOP VIDEO RHYMESTER「ONCE AGAIN」
2010年 MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN Best Reggae Video HAN-KUN 「KEEP IT BLAZING」
2013年 MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN Best Reggae Video lecca「Clown Love」
2013年 ショートショートフィルムフェスティバル&アジア ミュージックShort lecca「Clown Love」上映作品

tatsuaki WORKS

INTERVIEW

――どういった経緯でPV監督になられたのでしょうか?

タツアキ 高校生の頃から仲間内でクラブでイベントをやっていたんですね。でも同時に、子どもの頃から油絵もやっていて、美術には興味を持っていながら、けれどクラブの中ではそういう芸術的興味を吐き出す場所もなかったので、流行に乗ってDJとかをやったりしていました。大学も、普通の大学には入れず、美大だったら楽勝でしょってことで、美大に入るんですね。東京工芸大学という、たまたま映像系の大学だったんですけど、それでも入ったからと言って特に映像には興味が湧かないまま。クラブでイベントをやりながらフラフラしてたんですね。でもそのうち、「VJというものがあるらしい」というのがわかってきて、六本木のCOREというクラブのオーナーから、「プロジェクターがあるからVJをやってみろ」と言われて、なりゆきでVJを始めたんですよ。当時、まだヒップホップ系のクラブにはVJを入れる文化がなかったころですね。二十歳の頃、97年か98年くらい。それでいざやってみたら、クラブが派手になっていいね、ということになって、COREで重宝されるようになっていったんですよ。そこからいろんなイベントにVJとして出始め、渋谷に流れ着いて、いろいろなクラブでVJをやるようになっていったんですね。そうしたらだんだん軌道に乗り始めた。そのまま数年間、多いときには月に25本とかVJをして過ごすんですよ。
加えて、外国のアーティストを招聘する会社とも繋がりが出来て、来日した海外のアーティストたちのライブでもVJをするようになっていったんです。イグジビットとかザ・ルーツ、ビートナッツ、あとミッシー・エリオットとか。本当に他にいなかったから、重宝されてたんですね。カニエ・ウェストと一緒にアフターパーティやったりもしました。この頃にはすでにPVをつくってみたい気持ちはあったんですけど、日本人とはやる気がなくて、いずれ海外に行って向こうのアーティストのPVを撮るんだっていう気持ちで日々VJをやってました。そういう期間が4~5年続き、そうは言っても日本人のアーティストたちとも接点ができ、友達になったりして、その中でなぜか一番仲良かったのが瘋癲(FU-TEN)だったんです。それで彼らが、「お前PVやってみろよ」って言ってくれて、それでやらせてもらったのが自分の初めてのPVなんです。「M.V.R.」(2005年)ですね。それが27歳ぐらい。撮影の仕方とかは何もわからず、でもたまたまカメラは持っていたので、それで撮りました。この時点で、映像のノウハウはほとんどゼロ。何もわからない状態だったんですよ。普通だったら映像の制作プロダクションに入って下積みを経験して、というのが王道だし、それが絶対ないといけないはずなんですが、でも僕はめちゃくちゃで。VJ時代に独学でちょっとだけやった撮影と編集のノウハウがあったくらい。だからまぁ、一言でいうと、「なりゆき」ですね(笑)。そこからはでも、なぜかトントン拍子で走り始めるんですよ。瘋癲の仕事から、急にキューンレコード(現キューンミュージック)に行くんですよ。次がいきなりbreakthrough(DJ Jin、Ladi Dadi、Masaya Fantasista、Freedom Chikenのユニット)ですね。

――DJ JINさんのユニットですね。

タツアキ そうです。それまでPV一本しかつくったことないのに、いきなりそこにたどり着いてしまったんですね。そこからは1年間、ホームメイド家族のジャケットも手がけることにもなり……本当にわけがわからないですよね。ただ、根本的なことで言うと、ヒップホップで金を稼ごうとはずと思っていました。「絶対にのらりくらりはやらないぞ」って。その中でやれる仕事はやっていこうと思っていたんで、気がついたらすごい幅になっていたんですよね。

――これまでどのくらいのPVを手がけられたか、覚えていますか?

タツアキ 年間で30本くらい撮影してますから……300本弱というところですかね。

――ヒップホップやレゲエ以外のジャンルもやられていると思うんですが、そのときには何か違いというものはありますか?

タツアキ 10年やって、それはすごく、波打ちましたね。ヒップホップやレゲエに関しては自分に絶対的な自信があるんです。でも、メジャーだと、こちらのプランってアーティスト本人ではなくまずレコード会社の人にぶつけるシステムになってしまってるんですね。アーティストに向けてつくったアイデアなのに、この人の許可がいるんだ?という。それがまた、アーティストの意見と全然違ったりしてね。そういうシステムのせいで、僕の10年間のキャリアが、波打つんです。そこはいまだに納得がいってないですね。一回、あえてそういうシステムに波長を合わせてみる時期もあったし、でもその結果なんにもいいビデオ出来てない……という時もあった。ずっと葛藤しながらやっていて、結局、たどり着いたのは、「アーティストのために生きよう」って、今はそこに落ち着きました。そういう意味では、今は楽になりました。

――「アーティストのため」というのを具体的に言うと、それはミュージシャンがしている表現に映像側から近づいていくということでしょうか、それともアーティストの発注に忠実に応えていくという意味なのでしょうか。

タツアキ 発注に応えることもしなきゃいけないんですけど、僕がいる意味は、この曲にはこういう映像をつけるともっとよくなるよと提案することだと思っています。彼や彼女たちの意見を鵜呑みにするんじゃなくて、僕にはこの曲はこう聴こえましたよ、ということはしっかり伝えながら、いいビデオをつくって、その曲がよりよく聴こえるようにするのが僕の仕事です。そういう意味では、VJの仕事と近い部分もありますね。
◆  ◆  ◆

――油絵を学ばれていたことが自分のスタイルに影響を与えているとは思いますか。

タツアキ それはとても思います。僕が一番気にしてるのは、「構図」だったりするんですよ。今のつくり手には、「なんか撮れてたらいいじゃん」という風潮があるような気もするんですが、僕はそうじゃない。あと、動画の世界に生きてるんで、派手なカメラワークが云々とか言われるんですけど、でも、僕はそこじゃなくて、いつも静止画の世界を気にしています。ずっとトライしているのは、引き画の一発で終わるようなビデオが撮れたらいいな、ということ。動きの中で見せると、自分ががやりたかった画が一瞬で流れていってしまうんですよ。だから僕は、ここぞ!っていう時は必ずカメラを置いて撮っちゃうんです。

――でも、そうした手法は、一般的なヒップホップのテイストとは異なるイメージがあるんですが?

タツアキ そうですね。そこが僕の、映像作家としての唯一のエゴだったりします。でもそれはディテールの話で、本当は、楽曲制作者の思いがしっかり出るようにしたいというのが、一番思ってることなんですけどね。アーティストが伝えたいことを、さらによく伝えるためにやっている。それなのにそのためのハードルが多くて悩みが多かった……という10年間でした。

――理想の仕事の進め方としては、アーティスト本人と一緒に一からつくり上げていくのがいいのか、それとも曲から湧いたイメージをいきなりアーティストたちにぶつけてみるのか、どちらがお好きですか?

タツアキ こっちで勝手に考えてからぶつけるほうが面白いなとは思いますね。もちろん、アーティストたちはイメージを持っているじゃないですか。でも、「僕にはこう聴こえましたよ」というのを一回伝えた上で、その感想を戻してもらったほうが、お互い「ああ、そういうふうに考えてたんだ」って反響がある。だからやり方としては、一回こっちで勝手に考えたほうが面白いかな。とは言え、結局、ゴリ押しちゃうんですけど(笑)。いや、ゴリ押しはしてないんですけど、ものすごく自信があって持って行くので、相手を説得してしまう傾向があるような気がします。議論しながらやっているようで、「この世界が一番いいからこれやろうよ」って言っちゃってますね。

――ラップやレゲエだと歌詞に情報量が多いですよね。それをどうイメージし、どう映像に落とし込んでいくものなんですか?

タツアキ まずはリリックに目を通し、曲も聴き、そのあと、この曲はどう見せたらより広がるんだろう?ということを、ぼんやり考えるんです。一日くらい、その曲を500回くらいループしながら、ずっとぼんやりしているんですよ(笑)。歌詞が具体的だと映像が見え過ぎちゃうので、どちらかというとトラック重視で。トラックから伝わるものをぼんやりとイメージして、これだ!と思ったところでリリックを読み直し、そこで僕が考えてたことがリリックに一行でもあれば、それで終わり。ある一場面が一瞬見えるんですよ、頭の中に。そこから広げていきますね。
例えばライムスターの「It’s A New Day」は、浜辺に佇んでいるDさんの姿が浮かんで、そこから広げていった。その画を効かすためには、他にどんな画があったほうがいいかを逆算的に考えていく。ライムスターの「ゆめのしま」も、ああいう場所に立っている宇多丸さんが浮かんでいて、そのために他をどう表現しようかって考えていった。いつも一枚画だけは浮かんでいるんですよ。ちゃんとレンズを通して見た景色。「映像的な解釈の一枚画」っていう感じですかね。

――その一枚画を見せる編集までイメージ出来ているものなんですか?

タツアキ いや、それは決まってないです。本当はその一枚画で一曲聴けちゃうくらいなんですよ、自分の中では。でも、この画を見せるためにこの画があったほうがいいし、この画があればさらにこっちが効くし……と、最初の画が浮かんだあとは結構、理詰めの作業になっていきますね。尺もあるので、そこからはしっかり論理立てて考えていきます。最初の画を考えてる時までは楽しいんですけど、そのあとの組み立ての作業はちょっと苦しい(笑)。

――実際に撮影を始めてみたら、最初に思いついた画がよくなかった、だからやめよう、となったことはないんですか?

タツアキ いや、そこは絶対に崩さないです。最初から、今日はこの時間にあれを撮るぞと決めてるんで。これが崩れたら、自分がなにをやってんだか分からなくなっちゃうんですね。会議でプレゼンテーションをしてるときも、「こんな画を撮りたい、こんな画も撮りたい」って説明していると、自分が一番撮りたかった画が外されちゃう時があるんです。すると、混乱しちゃうんです。この画を見せるために他の画があるのに、って。だから、プレゼンのときにはその画はこっそり提案したりして。というより、「この画がメインディッシュだよ」って、アーティストや関わるスタッフにすら言ってないですね。ずっと自分の中だけで抱えてます。

――そうやって撮影した映像を編集する際、なにか自分なりのルールや縛りってあったりするんですか?

タツアキ 映像が抽象的だからこそ、リリックには忠実に編集します。例えばヴァースではあまりカットを割らなかったり、単語をしっかり聴かせたいと思ったら、そこだけ立つようにしたり。目の切り替わりによって歌詞の内容を印象づけるようにしてるんです。抽象的な画が流れてても、編集に関してはリリックに忠実なんですよ。だから、聴きやすい編集というか、歌詞が入りやすい編集になってるはずです。「これはいい画だから」って、歌詞の途中なのにカットが切り替わったりするビデオが、実は結構多いんですね。でも僕はそれがすごく嫌で。独学で来ちゃったから、自分なりのルールでしかないし、説明しづらいんですが。

――そういう自分なりのルール、もしくは編集の生理が自分と近いと思う人は他にいますか?

タツアキ うーん、近いというのとはまた違うかもしれませんが、一番いいなって思ってたのは、スパイク・リーの映画だったりします。あの人は映像表現を若干トリッキーにしながらも、伝えたいことをしっかり伝えている気がして。なぜか若干エフェクティヴな撮影手法を入れてきたりするんですけど、そういうところもすごく好きですね。
◆  ◆  ◆

――キャリアを歩み始めたこの10年で、PVの意味や、とりまく視聴環境などがずいぶん変わったと思うのですが、そういう変化に対して思うところはありますか。

タツアキ 逆に、もうむちゃくちゃやりたくなってきましたね。「今、既存のPV見てなにが面白いんですか?」っていう。今やPVなんてYou Tubeでいつでも簡単に見られるのに、普通のビデオつくってなにやってんだろう?としか思わなくなっちゃって。特に日本ですね。かっこいいかもしれないけど、ルールに乗ったものも凄く多い。PVの表現方法なんてべつにまだ確立してないのに、なぜかセオリーが出来はじめてるのにも違和感があります。だから最近は特に、めちゃくちゃやりたいなっていう気持ちが非常に強くなってきましたね。少しずつじゃないと変わらないと思うので、もがきながら変えていくというスタンスでやっていくしかないですね。

――将来的に、PV以外の手法で自分の作品を世に出していきたい、という気持ちはあるんですか?

タツアキ いや、それはないです。自分はまだ映像を全然突き詰められていないので。こういう流れで始まった僕が、突き詰められているわけがない。かつ、映像業界なんてまだまだ若いとも思ってて、だから突き詰め甲斐がある。たぶん数十年後は全然いまと違うはずだし、だったらこの場にいて、ここでどこまでやっていけるかを試したい。映像は天職だと思ってるし、ほかの事はもう充分経験したので、別のことはもうやりたくない。映像の枠の中でめちゃくちゃやりたいですね。

――そもそもスタープレイヤーズに所属するようになったきっかけは?

タツアキ 僕が思う監督像を表現出来るのはここかな、と思って、岸さん(スタープレイヤーズ代表)にお願いしました。やっぱりずっとヒップホップで生きてきて、ずっとやりたいことをやらせてくれたのはライムスターだし、この事務所だし。すごく感謝しているんです。で、自分が次の段階で進もうと考えたときに、また映像の会社に入って一から戦うのは出来ないなと思ったんですね。でもまだ戦いたいから、だったら籍を置くべき場所は、一緒に戦ってくれるような人がいるところ。それで岸さんに相談したら、快く引き受けてくれて。

――ライムスターの初PVはどれだったんですか?

タツアキ 「HEAT ISLAND」(2006年)です。キャリア1年目ですね。ははは。初めて会ったときには、何を喋ったか全然覚えてないんですよ! 緊張し過ぎて。でも、いいアイデアは浮かんでいたから、これは絶対やったほうがいいって強く思いながら会議に行きました。でも、ありがたいことにそれ以来、ライムスターはずっとですね。

――その「ヒートアイランド」で浮かんでいた最初の「画」とは?

タツアキ あのPVのまんまですね。もう、めちゃくちゃしてやろう、混乱させてやろうと思ってて。あの曲を聴いてるとどんどん煽られる感じがしたんで、見てる人をわけわかんなくしてやろうと思ったんです。そんな感じのことを思いながら、またゴリ押ししていた気が(笑)。あれはでも、同時に結構理詰めなPVなんですよ。
スタープレイヤーズ岸 プレゼンの段階から、自信をもって「これはこういう画になります」って言い切ってましたね。「こういう不思議な映像になります」って。「じゃあ、任せてみるしかないね」って。もの凄く押し出しが強かったし、しっかりしてました。緊張してる感じは微塵も受けなかったですよ。ただ、どういう画になるのか、こっちはさっぱりわかってなかったですけど(笑)。模型とか持ってきてくれたんですけどね。
タツアキ 持って行きましたね。CCDでテストしたりしてみて。

――それでも、どんな映像になるかはわからない。

タツアキ でも、そうあるべきだと思うんですよ。なんでもそうですよ。ある程度みんなに浮かんでるものをつくってどうするんだ?って。
岸 「HEAT ISLAND」の時はレコーディングが佳境で、ライムスターメンバーのエネルギーは曲づくりのほうに行っちゃってるから、映像のことまで頭が回っていなくて、そこに想像もしなかったようなアイデアを持ち込んでくれた若者がいて。で、メンバーそういう若者好きじゃないですか。「じゃあ、託そうよ」って、そこからの付き合いですね。そこからずっとこちらのオーダーを越えたヒットを打ってくれてます。
タツアキ まだまだいろいろやってきますよ。今はもう、「またやってやろう」っていう感じしかない。挑戦しに来たっていう感じですね。

(了)

2013年7月@渋谷スタープレイヤーズ事務所にて(聞き手/古川 耕)