homesupersonics blog20160506post
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HIP HOP JOURNEY DA CYPHERというラジオ番組について
2016.5.6 16:29:47
先日、スパソニも一度出演させていただいた、
BLOCK FMの番組、「Inside Out」に、
かつて、J-WAVEの伝説的ラジオ番組、
「HIP HOP JOURNEY DA CYPHER」のMCを務めていた、RIKOさんがゲスト出演していた。
(※まだアーカイブ残ってて聴けます!)
http://block.fm/program/inside_out/archive/20160502.html
それを聴いて、
どうしても”Da Cypher”について語りたくなってしまったので、語ります。
放送開始の97年当時、高校1年だった俺にしてみれば、
青春どころの騒ぎじゃなく、
完全に人生を決定付けられた番組。初回から聞けたわけじゃないんだけど、
何せ、HIPHOPを聴いてる友達も皆無、
まだまだ高1、とにかく情報に飢えてる中辿り着いた番組だった。初めて、DJのミックスというものを体感したのも、
CypherでのMUROさんだった。KRS ONEの”Step Into A World”のサビの後半に、
Camp Loの”Luchini(remix)”のイントロが被って入ってくる。衝撃的だった。
小3の頃、MCハマーのビデオを父親に見せられて、
「スクラッチって言って、レコードを擦っちゃうんだよ」と教わってたので、
スクラッチの存在は知ってたけど、DJのミックスだったり、2枚使いがどういうものか知ったのは、
完全にCypher。それからというもの、
毎週土曜は23時には寝て、
Cypher聴くために深夜3時に一度起きるというサイクル。もちろん録音もしてたけど、
何せお金なくてケチってたから、
一回録ったテープを一週間聴き倒して、
翌週またその上から録ってた。今思えば、ケチケチしてないで、
全部1本ずつちゃんと録っておけば良かった。でも、これは永久保存版だなっていう回は、今もテープあるし、
Kid Capriが回したときのも、この間データ化したばっかり。新譜紹介コーナー、This Week’s Pickも超貴重な情報源で、
マンハッタンの前川さん、CISCOの柳川さんは、
声だけ聴き慣れてて、実際店に行ってレジで応対してくれたときに、
あ!この人か!って密かに興奮してた。そのヤナタケさんとは、
今じゃ友達のようにお付き合いさせてもらえてるのも感慨深い。Da Cypherでは、
その日DJが番組でかけたトラックリストが、抽選でプレゼントされていて、
そこに漏れても、翌日にマンハッタンレコードに貼り出されることになっていた。
藤沢の田舎に住む高校生が、
毎週渋谷のマンハッタンに行けるわけもなく、もちろん小遣い貯めて渋谷行ったときは、
階段横に貼り出されたCypherのトラックリストをメモってたけど、どうしてもトラックリストが欲しくてFAXも毎週送った。
当時のJ-WAVEのFAX番号は今でも余裕で暗誦出来ます。
何度かトラックリストも当選したし、
12インチ詰め合わせも1回だけ当たった。NITROのREQUIEMのプロモ12インチも当たった。
そういう景品が欲しかったのも当然あるけど、
HIPHOPを聴く友達もいない、
クラブにも当然行ったことないようなキッズにとって、Cypherは、情報源ってのを通り越して、
本当にHIPHOPという世界が存在してるんだ、
ということと、自分もそのHIPHOPの世界と繋がっていられるということを、
感じさせてくれる唯一のもの・時間だった。
あの濃密な生放送だから余計に。聴いてる間中、ずっとアドレナリン出まくってたし、
RIKOさんが自分のFAX読んでくれたときは最高に嬉しかった。そんな中、
よくFAXを読まれる、「鎌倉市の平井誠」というヤツがいて、
ああ、隣の市にもこんなヤツがいるんだな、と思ってたんだけど、ある日、俺の高校のクラスメートが、予備校が一緒だということが発覚、
めちゃくちゃ驚いた俺は、その週のCypherにそのことをFAXしたら、向こうも、全く同じFAXを送っていて、
それに驚いたRIKOさんが、
興奮気味にそのエピソードを紹介してくれたのが一番の思い出かも。ちなみに、その鎌倉市の平井誠とは、
18歳のときに、今は無き茅ヶ崎のTing A Ringで、
マイメンDJ 49が主催したイベントで、
お互い初めてクラブでのDJを体験、一時期俺のバックDJもやってくれてたし、
今も超マイメンです。大学に入り、ラップをし始め、1年経った頃だろうか、
Cypherのスポンサーだった朝日新聞が、
番組中で流すラップCMのオーディションをやったことがあった。最終選考5名の音源が放送で流れ、FAXで投票。
MTRでそれなりに多重録音された音源が流れる中、
テクニクスのミキサーにマイクぶっ込んで、一発録りした、
音質めちゃ悪い俺のラップがラジオから流れてきた瞬間は、
マジでぶち上がった。最終選考で漏れたけど、貴重な思い出。
長々と沢山語ってしまったが、
Cypherが終わった2002年から14年の時を経て、
ネットではあるけど、ラジオでRIKOさんのトークが聴けたなんて、
本当に最高でした。ヤナタケさん、シホやん、block FMに感謝です。
http://miyearnzzlabo.com/archives/37505
TARO SOUL
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このBLOGについて
スーパーソニックスメンバー、スタッフが書き込み、スタープレイヤーズ社が管理しております。
SUPER SONICS(スーパー・ソニックス)
2012年結成。ソウルフル・ラッパー「TARO SOUL」とワールドフェイマス・ターンテーブリスト「DJ 威蔵」からなるヒップホップ・グループ。09年よりライブ・パートナーとして、革新的な音楽像を模索し続けた二人がグループを結成。作品をクリエイトする。
TARO SOUL
05年の「太郎 & KEN THE 390」としてのインディーズ・デビュー以降、ソウルフルなラップを武器に、数多くの人気メジャー・アーティスト作品に参加。08年にはソロ・アーティストとしてメジャー・デビューを果たした。
DJ 威蔵 (DJ IZOH)
ヒップホップ・スタイルにこだわるターンテーブリスト。世界大会入賞歴多数。2012年世界最大のDJバトルイベント『DMC World Final 2012』で優勝。第28代世界チャンピオンに輝く。
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