homerhymester blog29
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47TOUR#35@兵庫
2019.11.19 00:33:36
2019/11/9(土)、第35回公演、@兵庫県神戸市
まさしく老舗のザ・ライブハウス、
『CHICKEN GEORGE』へ。
この日わたくし、私鉄のトラブルで新幹線乗り遅れ
新神戸より地下鉄乗って一人で現地入り。
ま、タクシーでも行けたんだけどね。
電車っつーのがいいの。荷物重かったけど。
到着するとその1980年以来のザ・ライブハウスは
思ったより新しい印象。それもそのはず、
オリジナル『CHICKEN GEORGE』は
阪神淡路大震災(1995/1/17)で倒壊してしまい
跡地に生まれ変わったのがこの
新生『CHICKEN GEORGE』らしいのだった。
オリジナルはさぞや味わい深かったんだろうなあ
なんて思ったりもしたのだがこちらも
やはりずっと日本のグッドミュージックを
ここ関西で牽引してきた
重み深み慈しみに溢れる趣、満載!
LP(あえてアナログとは呼ばない)時代の
名盤が並んでおる。
鮎川誠さん。去年福岡サンセットで同席させていただいた。
その時はロッカーズ、陣内孝則さんもお隣で
福岡圧、レジェンド圧がかなり高かったのだが
宇多さんは果敢にも飛び込んでお話などされていた。
(↑誰に対する敬語なのか混乱してきたw)
一つ一つはようわからんけどそれぞれが
一時代を築いてきた名盤であるのだろうなあ。
その時代その時代の「天才」と呼ばれたシンガーや
ミュージシャンが「発明」してきた、
ワンアルバム、ワンソング、ワンフレーズ、
ワンアクシデントに敬意を払いつつ
今夜はおこがましくも自分たちの30年間を
ここ日本の音楽史における存在意義を
Proof(証明)せねばならぬと、背筋が伸びる思い。
……ちょっと大げさか?
ごめん、実際はそこまでは気負ってなかった(笑)
でもさあ、ずっと地方都市のコバコばかり回っていたせいで
ここはちょっと大きく見えて「大丈夫なの?」なんて
ちょっぴり不安になったよね。そしたら夢番地大野が
「大丈夫ですよDさん、売れてますよ!」なんつって
それはそれでなんかちょっとキンチョーしたりなんかした。
ま、35回目だろうとなんだろうと、
一定の緊張感は無くならないものなのです。
THE LIVE HOUSE
CHICKEN GEORGE
It has always been our policy to support
great “ROCK” music.
(常に偉大なる『ロック』ミュージックを
サポートし続けて。)
とある。オレらがやってるのが
“ROCK” musicなのかはわかんないけど
なんだか誇らしいぞ。
ライブ用のバナーともよくマッチしておる。
ステージから見るとこんな感じ。
カマボコ型の天井の梁が印象的です。
PA周りは雑然としていて、歴史を感じさせる。
なんとも、ブルージーやのう。。。
PA神田くんもここ初めてらしく、
(名物PAさんがおられるらしい)
ちょっと緊張すると言っておった。
不安なので神頼みに行った(笑)
会場目の前の生田神社。「いくたさん」の呼称で
地元の人に愛されてるんだそうな。
なんでも縁結びがご利益のせいか、
昨今のパワースポット、神社巡り流行りのせいか
境内若い女の子だらけ!Oh my gods! これは珍しい!
二拝二拍手一拝。
今日のライブがうまくいきますように。
あといい音楽が作れますよう。
それに伴い収入が…腰が…膝が…。
あ、あともっとモテますように。
何卒何卒、畏み畏み。
この鳥居のトンネルって京都の伏見稲荷神社の
やつが有名だけど(まだ行ったことない)
外国人観光客にジャポネスクを感じる、
BAEスポットとしてすごい人気みたいね!
この日もガイジンさんたちがみんなで自撮りしてて
占領しておった。
二拝二拍手一拝。
今日のライブがうまくいきますように。
あといい音楽が作れますよう。
それに伴い収入が…(笑)
境内奥にある生田の森。枕草子に出てきたり
源平合戦の舞台になったりしたんだってよー。
意外と小ぢんまりしている。
まあ、大都会の真ん中ですからな。
ここ生田神社の由来は神代で、西暦806年(!)に
朝廷がこの神社を守るため、お世話する家(神戸=かんべ)
44戸を置いたのが神戸の地名の由来なんだと!マジか!
そんなこんなで会場に戻って、いざ本番!
ああよかった、会場後方までみっちり、満員御礼(涙)
スタート前、BGMの段階から拍手鳴り止まず。
JINさん出てった時の反応もすこぶる良し!
だがしかーし!!!
今日はこんなキンチョー感のある晴れの舞台だっつーのに
何を血迷ったか先週までとセットリスト完全反転!!!
ったく誰だよそんな提案したの!(私です)
せっかく慣れてきたんだから
あっちのセトリでやればいいじゃんか!
こ、怖え!(笑)
しかも一曲目『予定はなんちゃら。』だから
ゆるうくて勢いでごまかすこともままならぬ。
全く誰だよ誰なんだよ
余計なこと言い出したのは!(私です)
それでも2曲めからさらにドッカーン爆発!
タンタンタンタンドドタンタン!からの
タンタンタンタンダチーチー!(なんのこっちゃ)で
完全にフロアをROCK!
やっぱし僕らROCKだったようです。
最初のMCでは当たり前ですが、この日からガラッと
セトリを変えた話など。常にフレッシュでいないとね!
ちょっとMっ気ありなのでしょうか。
MCだって一度たりとも同じ話は…
世の中にはいるんですよ?MCに台本がある連中が!
その台本だってマネージャーが…なんつって。口が悪い。
2個目のお部屋、
「Still→Choice。反応ムッチャいい。ムッチャ楽。」
と、メモに書いてあります。
よっぽど嬉しかったのでしょう(笑)
宇多さんはこっちの進行だとMCが今や不慣れで
ちょっと硬くなっちゃったなんて言ってたが
全然そんなこと無し。流石のキュレーションっぷり。
オレが要らないくだり(話の邪魔)を随時挿し込んで
いい湯加減にする。それでもまだまだヒートアップ、
って時に満を持してJINさんコーナー投入!適温!
これぞチームプレイ。この日も発揮されていたことと思う。
3個目のお部屋、
『POPなんちゃら』から『フラッシュなんちゃら、夏。』
『フラッシュ』は久々でKOBEのみなさんに
喜んでいただけたようだが実はこの並び!
気づかなかったのだが今回のツアー、
セットリスト法則上35公演目にして唯一のチート!
『POP』よりは『フラッシュ』の方が
後に作って、リリースした曲だからなのである!
ま、お客様方にはどうでもいい話とは知りつつ。。。
その次の曲は、やはり見事に復興を遂げた
神戸の街に捧げるつもりで、強く。
別に被災地応援ソングではないのだが、24歳の時、
実は震災直後の三宮、見てるんです、わたくし。
垂水区在住の作曲家さんに会いに行った時のこと。
当時はまだ大阪からのルートが分断されており
姫路から電車で逆行するルート。明石に近づくにつれ
どんどんブルーシートの家並みが増えていき
夜に見に行った三宮の被災中心部は
規制線が張られていて、
逆光の中浮かび上がる完全に傾いたビルなど
ちょっとこの世のものとは思えない光景でした。
不謹慎にも「『AKIRA』みたいだ…」と
思ってしまったのを覚えています。
ちょうどその時、ここチキンジョージも倒壊したらしく
その後は敷地内で青空ライブをしたり、
バラックで営業を続けたりと、苦難の40年。
僕らが今演奏してるのは、それを乗り越えてきた
4代目チキンジョージであるらしいのであった。
ONCE AGAINどころじゃないんだね(あ、言っちったw)
打って変わってJINさんコーナーは、2004年くらいの
クラブ・サプライズLIVEの直前に旧友に連れて行かれた
ハプニング・バーでの一部始終という
どーしようもない話(笑)
なんかいつもよりも饒舌に喋りまくるDJ氏。
しかもそこだけ、ピンポイントで記憶が鮮明すぎる。
よっぽど衝撃的な体験だったのであろう(笑)
僕らは音楽面ではMっ気があるかもだが
性的嗜好はそんなことはないものでスルーしたのだが
当時の担当A&RのE氏が女王様に鞭で叩かれ、
「あんっ!」
苦悶の表情を浮かべていた。
そのお店、ここではあえて名前は伏せるが
神戸が誇る国民的音楽グループ、
KツメイシのD蔵がよく訪れていたらしい。
その女王様、『肉体関係part.2』の全パート、
フルで歌えるということで、
店内のカラオケで僕らに披露してくれた。うん、完璧。
なんて夜だ。こっちの方がサプライズじゃねーか!(笑)
JINさん曰く、その体験が僕らを強くしてくれた、
ということらしい。
しかしオレなど未だ小者も小者
あの手のお店で全裸になど絶対になれない。
すごいぜ大蔵!(あ、言っちったw)
後半、『ナンチャラ!』を久々にフルで。
神戸パーティーピーポー穴埋めテスト全問正解!優秀!
『お肉』では出会いは「三宮の老舗のライブハウス」、
プレイはJINさんコーナーを受けて「ハプニングプレイ」
(↑なんだよそれw)
間奏、
D「世界に向けていち早く開いていた」
宇「大股開き!」
D「KOBEのみなさーん!愛し合ってますかーー!!!」
客「ウェーーーイ!!!」
なんつって(笑)。
長崎、神奈川(横浜)と開港モノ続きました。
そしてそのどこにも中華街が存在するという…。
脱線した。よく考えるとさあKOBEってネイティブが読むと
「コービー」なんだよね。
「KOBE!KOBE!KOBE!KOBEしただけ!」
ってのもアリだったかもなあ(←絡め過ぎ)
ラストのMC、アナログ盤の説明時に神が降りてきた。
宇多さんとJINさんとのやりとりの中、
宇多さんがJINさんに
「今も現役でアナログ盤でプレイし続けている
ラップグループは(どれくらいいる)?」
と尋ねた瞬間
後方のお客様
「ライムス!たぁ…」
それをかき消すDJ JINの回答
「んー、おそらく2、3組なんじゃないかなあ」
これがほぼ同時で、お客様の雄叫びは尻すぼみ、
不発に終わったのだった。わはははは!
これが神がかり的に面白かったのだが、
オレの文章力では全てを伝えきらん。
0コンマ00秒の間(ま)の世界の面白さなもんで。
叫び出しの勢い及び発音の良さからの
尻切れとんぼ具合がまさしく芸術的であり
図らずも恥をかかせる形になったしまったお客様を
「…なんかごめんね?」
って気遣ってあげたら会場大爆笑!
「ほんとごめんね、せっかく声出してくれたのに。
でも安心してくれ。今んとこ絶対ブログで拾うから!
無駄じゃなかったんだよ今のは!」
かなんか言ってさらに大爆笑!わはははは!
毎回なんかこういうミラクルが一つは起こるから
やっぱライブハウスはやめらんないよね!
ごめんね、っていうかありがとね!キミこの日のMVP!
みんなが笑顔でハッピーになれた。
KOBEのみんなはライムスリテラシー非常に高く
どんなイントロにも即反応してくださる。
例えば『Lights, Camera, ナンチャラ』の
リリックだけでとかね!やりやすっ!マンモスうれP!
写真はクライマックスあたりなんでございましょう。
アンコール、ここ兵庫県は『アトロク』パーソナリティ、
宇垣総裁のご出身地ということもあり
宇多さんがお客様から提案されたということで
久々に『After 6』を。
歌っててまんず気持づえがっだの。んだんだ。
ラストチューンは『カミングなんちゃら』の予定のとこ
リハで思いついちゃって
「K!O!B!E! K!O!B!E!」
みんなで連呼。曲名は言わずもがなでありましょう。
うーん、だんだん原曲タイトルと離れてきた(笑)
京都『磔磔』と並ぶ老舗のライブハウスで
偉大なる音楽史におけるパイオニア、
諸先輩方に対しても恥ずかしくない
僕らのベストパフォーマンスが実現したのは
ひとえに超優秀な兵庫ケンミン、
及び関西ィィィ!の皆様方のおかげ。
途中のMCで宇多さんも言っていたが
やっぱし僕らのライブ、お客様方は第4のプレイヤー。
ラウドなレスポンス(合いの手)がないと成り立たんのだ!
ライムスターのチケットが安いのは
共演料お支払いしなければならぬ分
事前に差し引かれているからなのである(笑)
わはははは!!!なーんつって(てへぺろ)
みなさん誠に有難うございました!m(_ _)m
楽屋でーす。
そこかしこに『CHICKEN GEORGE』のロゴが!
FM802、COCOLOからウッチー遊びに来てくれた。
ありがとー!
また神戸でライブやりたいなあ!姫路でもネ!
神戸でライブするのは12年ぶりなんて言ってたけど
兵庫県という括りだと淡路島、MINMIのフェスだの
apBankだので全然来てましたね。
しょーじき徳島県だと思ってました(笑)
兵庫のみんな、また会おねー!
そん時は『梯子酒』ドリンクコーナー、
灘の男酒の銘柄で埋め尽くしましょう!!!
ウェイウェイ〜!!!
ごはんは近くのハンバーグ屋さんに行きました。
表面以外生焼けになっていて、右上の焼き石で
自分で好みの加減に焼き上げて食べる方式。
ジュウウウウウウウ!!!ほとばしる肉汁!
う、うんまっ!(T ^ T)
ここKOBEでまた少し
僕らは強くなった。
大蔵には敵わないけれど(また言ったw)。
石焼ハンバーグ&ステーキのお店
ムッチャ旨かった(涙)
神戸の旧友、リョウのやってるステーキ屋さんって
ここなんかなあ?だとしたら奇跡!あ、独り言です。
この後DJ JIN、スマホ落として
みんなで三宮ドンキの前を探しまくるというおまけ付き。
グラキャビの下に落ちてた。見つかってよかった。
明石海峡大橋を越えて淡路SA、22:30。
もう6年前、『ダーティーサイエンスTOUR』の時
スタッフみんなと写真撮った場所に、一人ぽつねんと。
今晩目指すのは讃岐高松ではなく、阿波徳島。
スタッフは運転あるので皆ノンアルで頑張っておる。
よっしゃ徳島着いたらサタデーナイト
スタッフ連れて秋田町、飲みに繰り出しちゃうぜ!
ウェイウェイウェイウェイ〜!!!
ということで次号「徳島編」に続く。
(D)
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【集合写真掲載】47ツアー、クラブチッタ川崎。多くの仲間、関係者、オーディエンスに支えられて
2019.11.17 11:08:06
はじまり。
ライムスターは30年前の1989年12月、
クラブチッタのイベントで初ステージを踏む。
それから今日までライムスターの30年の日々があった。最初のステージに声をかけてくださったのは、クラブチッタの木嶋さん。
今は出世され相応のポジションに就かれる方ですけれども、
なお現役の制作マンであり、
ライムスターは今でも大変お世話になり、
この夜は関係者受付をしてくださっていた。頭があがらない。
木嶋さんたちの30年。クラブチッタでは、その後もライムスターの多くの公演がおこなわれ、
それより前からおこなわれていた、多くのヒップホップ公演は続く。
ステージから魅せ続けたラッパー、DJ、ダンサーたち。
昨夜のステージの上には、多くのヒップホップアクトたちの姿が見えていた。
ヒップホップに尽力した関係者たちの姿も見えていた。
今も活躍する人、もういなくなってしまった人(一緒にこの日を過ごしたかったよ)。
ヒップホップアクトたちの30年。30年前のことを、私は聞いた話でしか知らないけれど、
歴史を体感するライムスターのセットリストに、
今日このライブに交差した自分の思いが重なり合う。ライムスターは30年、磨き続けて演り続けて、
昨夜のクラブチッタでの記念公演を即完売とし、本当に多くのオーディエンスの皆様、多くの関係の皆様が集まってくださいました。
皆様の昨日の姿こそが30年の証、それに勝る褒美などない。感謝にたえません。多くの仲間、関係者、オーディエンスに支えられてたどり着いた、
KING OF STAGE VOL. 14 47都道府県TOUR 2019
クラブチッタ川崎公演は大成功のもと閉幕しました。
ありがとうございました。
2019年11月16日(土曜日)
KING OF STAGE VOL. 14 47都道府県TOUR 2019 クラブチッタ川崎公演
スタープレイヤーズ・岸
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47TOUR#34@長崎
2019.11.15 12:44:56
2019/11/3(日)、早起きおじさん。
8:00AMくらいからもう動き出しちゃう。
朝の新地中華街。写真は撮ったけど
実は今回は食べてもいないし通ってすらもいない(笑)
さあてどこ行こっかなー、なんて
朝7時前からスマホで検索。
ここ長崎は昔個人的に旅行で来ていて
その時にグラバー邸だの大浦天主堂だの
亀山社中だの稲佐山だのあらかた観光地回ったので
おんなじとこ行ってもなー、と思い
「いや、そういうタイミングだな。うん」と
ずっと心の中で未見で気にかかってた
長崎の原爆被災中心地方面に足を延ばすことにしてみた。
路面電車に飛び乗るわたくし。
長崎の路面電車は運賃が一律でムッチャ使い勝手良い!
揺られること20分ちょい。
まずは長崎原爆資料館を訪れてみることにしました。
最近僕らのライブで
「ライムスターミュージアムへようこそ」
「解説付きでいいっすかねえ?」なんてやってるのだが
実際にこの日音声解説装置を耳につけて資料館回りました。
地上入口から地下展示場に向けて
現在から1945年までらせん状に時代を遡っていく
タイムマシン的なエントランスの演出からして
とても良くできていて思わず背筋伸びた。
展示はご覧の、1945/8/9/(木)、11:02amで時が止まった
壁掛け時計からスタートします。
「カッチン、コッチン」と鳴り続ける
時計の針の音が印象的でした。
写真は爆心地にあった浦上天主堂の罹災状況の模型。
ライブのMCでは、ミュージアムとして「館モノ」として
マジでクオリティ高いから絶対観に行った方がいい
なんつって
「館モノ」大好きな相方の知的興味を煽りましたが
実際には順路入ってすぐのこの部屋の展示
原爆に両親兄弟奪われた5歳児の言葉に
もうすでに涙腺崩壊。涙止まんない。
まだ9AMだってのにね。
同じく鼻をスンスン言わせながら展示を観てる
ティーンと思しき女子と進行速度が一緒で
「なんて優しい女の子なんだろう」と思いましたが
もしかしたら
アレルギー性鼻炎とかだったのも知んない(笑)
いや、そんなことないよね。
この日、この資料館を見ている人たちの眼差しは
どなたも非常に真剣、憐れみと慈しみに溢れていました。
『ファットマン』。長崎に落とされた原子爆弾です。
長さ3メートルほど。威力は広島に落とされた
『リトルボーイ』より強かったのですが
起伏に満ちた長崎市北部の地形のせいで
平地の広島よりも被害が広がらなかったそう。
それでも死者、負傷者共に7万人。
なぜ長崎の山あいの町に、こんな非人道的な兵器が
使用されなければならなかったのか
深い怒りと悲しみを覚えた。
当時の敵国にも、当時の我が国の軍部、為政者たちにも。
こんなにいっぱいあるんだって、世界中に核弾頭が。
俺たちはこんなものを互いの喉元に突きつけてなければ
「平和」が維持できないのか?
戦争は嫌だ。本当に嫌だ。
外交の手段の一つとして存在するというが
そうならないように知恵を出し合うのが
長崎広島の被害者の人々の悲しみののちに
平和を享受している僕らの使命だと思った。
他にも色々素晴らしい展示がいっぱいあって
考えさせられました。
呆然とした顔でおっぱいをあげているお母さんの写真や
亡くなった弟をおんぶしながら
荼毘に付すのを待つ子供の写真など原爆の有名な写真
広島かと思ったら結構長崎のものなんだと
初めて知りました。
いやー、重いよ?重かったけど!来てよかった。
オレ的には自らも被曝し妻を亡くしながらも
被爆者たちの治療を続け白血病で43歳で亡くなった
永井隆医師のエピソードが印象的であった。
齢49。そんな立派に生きられるであろうか。
爆心地。この上空500mで『ファットマン』は炸裂した。
先ほどの写真の浦上天主堂の、
これは模型でなく当時の本物の遺構。
爆心地のモニュメントのすぐ横に移設されています。
そのすぐ奥の有名な像のある『平和公園』
ついに本物見ちゃいますか、なんて勇んで行ってみると
公園内中国人観光客だらけ!
まあ最近どこ行ってもそうですけどここは凄くて
冗談抜きで95%以上。日本人ほとんどオレ一人状態。
これにはビックリした。
でもさあ、さっき資料館には一人もいなかったのに
なんでここばっかし?
ま、それはいいのだが
っていうか観光客の皆様はありがたいのだが
……
んー、嫌なもん見てしまった…。
観光客の人達、結構な割合で
平和祈念像と同じポーズとって
楽しそうに写真撮ってるんだよね。
上空に突き上げた右手は原子爆弾の脅威を
水平に伸ばした左手は平和を表してるっていうのに。
これには参った。
あのさあ、あんたたちの国核保有国だよね?
そんな笑ってて大丈夫なの?みたいなね。
でも日中戦争から続く太平洋戦争で
我が国は彼の国を蹂躙し、なんの罪もない人々を
散々苦しめてきたわけだからなあ…。
でもそれは笑いながらやるポーズじゃないし…。
うーん…なんだかなあ…。
とにかくなんだかなあとしか言えん心境。
ま、悪気はないんだと思うんですけどね。
多分大仏とかと同じ感覚で見物してるんだと思う。
日本人だってやってるかもだしね。
それこそ「平和」の証かもしれないけど
なんともやるせない気持ちでいてもたまらず
核兵器使用反対の署名して
早々に公園を立ち去りました。
そこには中国の人たちの署名もいっぱいあった。
誤解のないよう言っておきたい。当ブログでは
特定の国の人たちを貶める意図や気持ちは
全くありません。
とまれ、
なかなかデリケートなトピックではある。
再建された浦上教会です。現役です。
被曝当時の一帯にはほとんど崩れかかったこの教会しか
建物の痕跡は残ってなかったらしく
そのまま整備保存すれば広島の原爆ドームのように
長崎原爆のシンボルとなったはずで
遺構を残そうという動きも当時盛んだったようですが
移転拒否やアメリカへの配慮など複雑に絡み合って
撤去再建になったそうです。
東日本大震災の時もそうだったけど
被災の遺構を残すかどうかは住民感情もあるし
難しいところですよね。
下の黒いのが爆風で吹き飛ばされた天主堂の鐘楼。
その当時のままその当時の場所に残っている唯一の遺構で
長崎市から被曝建造物Aランクの扱いを受けています。
よーするに右上の塔の頂上部分が吹き飛ばされて
30m離れたここに落ちていたということです。
ちょっとなんだかなあな気分になったこともあって
行く予定なかった追悼平和祈念館に寄って、
もう一度手を合わせて行こうかと思い、
さっきのルートを逆行すると、
あれ?平和公園に中国人観光客がいない!
一人もいない!つってビビって歩いてたら
横を巨大な観光バスが5台くらい通り抜けていった(笑)
そーか、ツアーの行程の一つで
あの時(ちょうど10am)ピークだったのね!
なーるほど!だからあんなに中国人だらけで
そりゃーみんな望まず連れられてきてるわけだから
意識低いよね(笑)
でも皆さんあのあとどこ行ったんですかねえ?
中華街行ったって面白くないと思うんよね?
ま、それはいいとして平和祈念館、地下にあって厳かで
なんだろう?やっぱり葬祭感メモリアル感強し。
正面奥に犠牲者の方々の名簿が納められています。
クリスチャンも多い土地柄ですが
気持ちを込めて手を合わせ、祈ってまいりました。
泣いたりなんだかなあと思ったり
祈ったりしてたらお腹すいた。
なんかもうどこでもいいやと思って入った
長崎駅ビルの中華屋さん
ここが期待してなかっただけにムッチャ美味かった!
まー、オレは皿うどん(細麺)にしたんですけど
現地の人は途中からウスターソースで
味変しながら食べるのは知っていたのだが
ここのやつはちょろっとお酢を垂らしながらいただくと
あんの甘みと魚介出汁がさらに映えて
うんまぁ…♡でした。儲けもん。
『皇上皇』さんだったと思う。
自力で路面電車で現場入りして荷物預けて
浜町(はまのまち)アーケードあたりをぷらぷらしてたら
謎の行列を発見。なんだろう?と思って見てたら
ファンの方に声をかけられる。
「さっき宇多丸さんらしき人が
入っていくの見たんですけど」
聞けばこのお店は『吉宗(よっそう)』と言って
茶碗蒸しが有名な和食屋さんらしい。
「あ、それ多分宇多さんだよw」
宇多さん大の茶碗蒸し好きなのだ!知らないだろう?
わはははは!
いやあ、チェキれてますねえ。オレも食べてみたかった。
十数年前の記憶を辿って寺町で見つけた、
長崎出身BOY KENちゃんのご実家の洋菓子屋さん、
『ニューヨーク堂』さん。ご健在で何より。
カステラアイスやカステラソフトが人気みたいだけど
おじさんたち甘いの全然食べないので
楽屋差し入れは買いませんでした。
お土産にすればよかったかな?溶けちゃうか!(笑)
そんなこんなで眼鏡橋。リハの時間も近い!
(会場はすぐそこ)
もっと離れた場所から撮らないと
川面に映ってメガネにならないので
川沿いを下流次の橋に向かって歩く。
メガネになったねー!
しかも俺のメガネとくっついておる。
この写真なんでニヤついてるかっていうと
画面左を歩いてくる途中この橋でオレを張っていた
九州レギュラー陣の皆様にまんまと見つかってしまい
散々イジられた挙句写真手前側で
みんなオレのこと撮ってるからなのであった!
もうとっくに皆様のtwitterなどに
その時の様子アップされてるとは思いますが
その時のわたくしがコレです。
もはやみんな仲良さそーねー。うんうんよかよか。
会場DRUM Be7は眼鏡橋至近、
エフエム長崎のビルの地下にあります。
なもんで外観とか撮りにくいし実際撮り損ねたのだが
入り口のポスターなどによると
この日は主催のお祭りなど長崎港周辺でやっており
なんとウルフルズが来てるんだそうな!
そーなんかあ、うんうんフガフガ。
トータスさんにLINEしてみようかなあ。
これで九州DRUM系列のライブハウスは
全制覇したことになります。あざーしたっ!
安定のサウンド、安定の市松模様。そして
安定の九州オーディエンス!!!
スタート時の歓声ムッチャデカし。
これはイケる。この日のわたくしのコンセプトとしては
セットリストに大分(おおいたじゃないよだいぶだよ)
慣れてきたのもあり、意図的に「事故」を起こそうと
意図的にソツのようなものを
生み出そうとしていたキライあり。「揺さぶり」やね。
何をしてるんでしょうかこの人たちはステージ上で(笑)
そうです。「ナイスショット」してるのです。
長崎県産BOY KENちゃんにオマージュで
『隣のなんちゃらにホールインなんちゃら』を。
なんか最近どこかで演ったよね?
この日はカップイン音(from PS『みんなのゴルフ』。
わざわざSCEに許諾とったのだ!)もバッチリついて
決まったー!隣の芝生に!(笑)
作ってから20年経つのだが、改めて
バカなタイトルだなあ、と(笑)宇多丸作。
KENちゃんは始め曲名に
「そういうのは良くないんじゃないかなあ」と
難色を示していたのだが、結果「イヤンバカン!」と
豪快にかましてくれた。ありがとうBOY KEN。
ありがとうニューヨーク堂。ありがとう長崎!
またいつか近いうち…(←終わんない終わんない)
HOTCHIがナイスな瞬間をカメラに収めてくれた。
そちらも、「ナイスショット!」であった。
これはなんですかねえ。
こんな瞬間ありますかねえライブ中に。
あ、「放置プレイ」中ですね!わはははは!
プレイ中の自分、初めて見ました。そーかー
宇多さんはそんな佇まいだったのかあ。
若干オラついてるんだなあ。オレは感情の無重力状態っす。
出会いは「眼鏡橋のたもとのライブハウス」、
エクストラプレイは「ちゃんぽんプレイ(熱い熱い!)」
だったかなあ?もっとあった気がする。
「皿うどんプレイ」?……どーでもいいわ!(笑)
「あの鎖国の時期に唯一世界に向けて開いていた
長崎の皆さーん、愛し合ってますかー!」だって。
自分で打っててアホくさくなってきた(笑)
龍馬に絡めて『HEATなんちゃら』。人差し指の曲は
見事に復興を遂げた長崎の街に捧げる気持ちで。
宇多さんは安定のキュレーターっぷり。
どういう流れだったか忘れたが、わたくしMCで
「オレも家に帰ったらネガばっかしのヤツなんよ」
なんて話、ゆっくりできた。自分の歌に励まされるし
みんなと変わんないんだと。みんなのうたなんだと。
JINさんコーナーは初めて長崎に来た、
2002年のライブの時の失敗の話。
『ウワサの真相』の、間違ってRemixの方を出してしまい
その後20年近く「おいジン、あの長崎のライブん時…」
と言われ続けているという、もはやネタのエピソード。
そのイベント、警察が摘発に来たりして
それよりもそもそも恐ろしいメンツだったりしてw
(KENちゃん、ガリヤ、RINO、TOMI-Eなどなど)
とにかく大変だったんだけど
その時高校生だったというお客様が
なんと今回も観に来てくれていた。
若いだけあって、当時のこと克明に覚えてらっしゃる。
ありがとね!
JINさんは一通り語り終えると
「というわけでカステラ大好きDJ JINでしたありがとーーう!!!」
かなんか言って締めていた。
その情報要るかなあ?(笑)
これはなんとなくシリアスなものを背中から感じるので
『グラキャなんちゃら』ですかねえ?
日頃の個人的葛藤など噛み締め、
かなりエモりながら歌っていたのだが
(↑書くと恥ずかしい)
それが過ぎたからかこの曲としては珍しく
舌がもつれてトチった。
それを見逃さない上手サイドのコアなお客様たち。
「あーーー!!!」
それに即座に反応し『うるせえ砲』を連射するわたくし。
「うるせえうるせえうるせえうるせえ!!!」
結果さらにリカバリーが遅れました(笑)
あー、面白かった!
なんかこういうミスも全部プラスになっていくような
そんな雰囲気がこの日はあった(←美談にするな)
この日は『人間なんちゃら』も演りました。
もちろん発電所ではない方。
あ、そういえば
「そし!」
っていう神(噛み)フレーズが生まれたの、
この長崎だったっけか?
あれ?神戸だっけ?
やっぱ長崎か?
クライマックスに向けて仕切り直す時、
キュレーター宇多丸が放ったのだが
なんでも「そう!」と「よし!」が
混ざってしまったんだそうな。
それを横から
「んんん?なんか急にネガティブなこと(阻止?)
言い出すからビックリしちゃったんですけど!w」
かなんか言ってナイスアシストする、オレ。
最後のブロック前のMCだっていうのに
みんなで爆笑!
終始こんなムードで、熱狂&リラックスの
長崎公演であった。
本気出して
アンコール。
なんか「持ってこーい!」みたいな謎のコールで
びっくりしたのだが、
どうやら「長崎くんち」の掛け声みたい。
こういうの好き。
この日は初の試みとして「リクエスト」を。
「本日のアンコールは……リクエストです!」
と言った瞬間、みんな「ワーッ!」と喜ぶかと思ったら
何か急に責任が自分たち自身に降りかかってきたのを
感じたからか、若干笑顔が曇っていくのが
ステージ上からでも感じられた(笑)
「えっ?」みたいな。わはははは!
皆思い思いに好きな曲を言い始めてまとまらん。
リクエストは一曲のつもりだったがその場の判断で
『バカヤロウ!』を一曲目に
『リスペクト』をラストナンバーに。
なんて対比だ(笑)なんてこったなんて夜だ!
どんな夜であったかは、
皆様の笑顔を見れば一目瞭然でありましょう。
楽屋風景。
この日の主な議題、
全国のライブハウス楽屋に点在する
「内田有紀」サインの謎。
コラーッ!誰だ辰っつぁんの顔掲げてるやつはー!
ネタ多すぎだから九州!
辰っつぁんウチワお土産に持たせてくれなくていいから!
いい加減にしてくださいよ本当に(笑)
「ブログ頑張ってー!」ってヤジ飛ばしてくれたお客様
頑張って書いてるぜー!(全然挽回できてないけどw)
あとこの夜は『ウワサの便乗』っつー(タイトル公認)
ファンイベントもやってたそうね長崎で。
どんなんだったんだろか?
ご飯はなんか知らんが割とデートスポット的なところの
景色の良いイタメシ屋さん。まーまーだったかな。
近くでやってたイベントの打ち上げ花火が
綺麗で大迫力なんだけど、近過ぎてうるさ過ぎて
僕らの打ち上げの邪魔をする(笑)
んでもやっぱ長崎、夜景が綺麗よねー!!!
2軒目は素敵なバーの半個室のようなところで
僕らライムスチームと
なんとウルフルズチーム合同でやっちゃったのだった!
そーかー、さっきの花火はウルフルズが出演してた
イベントの花火だったのね。
くっだらないエピソード披露しあったりして
ムッチャ盛り上がった。楽しい夜であった。
トータスさんやっぱサイコー!
サンコンくん同い年。仲良くなれてよかった。。。
「ん?」
そしてはわたくしは、気づくと
江戸時代の街並みの中にいるのでした。
「ハッ、ここはどこだ?ウッ、頭が痛い」
「昨晩あの後……ダメだ、何も思い出せない」
「……タイムスリップ?」
いいえ、出島です(笑)。
だいぶ整備が進んだなあ。
この期に及んで朝から観光して
JINと二人で大村から空の便で帰りました。
(D)
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このBLOGについて
【管理:スタープレイヤーズ】ライムスターメンバー、スタッフが書き込みます。
2018年10月に旧ライムスターブログ、11月にマボロシブログ『マボロシ 坂間大介 Rec日記』を統合し、全ての時代のライムスターブログがここに集まりました。
RHYMESTER(ライムスター)
1989年結成。宇多丸(ラッパー)、Mummy-D(ラッパー/プロデューサー/またグループのトータルディレクションを担う *作編曲家としての名義はMr. Drunk)、DJ JIN(DJ/プロデューサー)からなるヒップホップ・グループ。自他共に認める「キング・オブ・ステージ」。フィジカルとエモーションに訴えかけるパフォーマンスと、当意即妙なトークによって繰り広げられるライブに定評がある。1980年代後半、まだヒップホップが広く一般に認知されるはるか前より「日本語でラップをすること」の可能性と方法論を模索。並行して精力的なライブ活動を展開することによってジャパニーズヒップホップシーンを開拓/牽引してきた。近年はグループとしての活動に加え、各メンバーがラジオパーソナリティーや役者など活躍の場を拡大。結成30周年を迎えた2019年にはアニバーサリー企画としてグループ史上最大規模の47都道府県48公演に及ぶ全国ツアーを敢行、成功へと導いた。
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www.rhymester.jp
RHYMESTER Official Twitter
@_RHYMESTER_
DJ JIN Official Twitter
@_DJ_JIN_
アフター6ジャンクション|TBSラジオFM90.5+AM954~聞けば、見えてくる~
www.tbsradio.jp/a6j
Joint&Jam ~global dance traxx~|DJ JIN|DJ HERI|JFN PARK
park.gsj.mobi/program/show/1918
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